山路愛山に関する質問

山路愛山 征韓論の「韓」について

征韓論の「韓」について征韓論が出ていた当時は朝鮮は李氏「朝鮮」で、大韓帝国は成立していません。これ、征韓論の「韓」は大韓帝国(韓国)ぢゃなくて、韓半島のことをさしているのでしょうか?当時の日本では朝鮮半島という呼称よりも韓半島という呼称の方が主流だったのですか?明治時代のナショナリストだった山路愛山あたりは、自著の中で韓半島・韓人・韓語・韓料理といった表現を使っているので、そっちのイイカタの方が当時はメジャーだったのかなあ、と思ってしまいます。

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カテゴリ:教養と学問、サイエンス>歴史

山路愛山 婚姻の元祖って

婚姻の元祖って大奥とか、将軍・・・などが、日本でも一夫多妻制のように感じられているけど一般人でも、少し前は、誰とでもSEXする文化があったみたいですけどどれ位から、婚姻届とか、浮気はダメって、文化に変わったのでしょうか・・・

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カテゴリ:教養と学問、サイエンス>歴史>日本史

山路愛山 現代文の大学入試での出題

現代文の大学入試での出題大学入試の現代文で出題されやすい作家を5人くらい教えてください!!

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カテゴリ:教養と学問、サイエンス>芸術、文学、哲学>文学、古典

山路愛山 明治期の文学上の誌上論争

明治期の文学上の誌上論争明治期に於ける、メディア誌上でおこなわれた文学上の論争を調べています。ご教示下さい。

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山路愛山

... ジャーナリストで、歴史家の山路愛山(1864~1917年)の思いも同じと言えよう。 しかし、この世には外見に左右される人とそうでない人の二種類が存在するのではない。時と場合によって、それは人のことであり、自分自身の事でも。

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足利尊氏の墓

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 Guns N' Roses 『チャ ...

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山路愛山とは?

山路愛山(やまじ あいざん、男性、元治元年12月26日 (旧暦) 12月26日(1865年1月23日)-1917年(大正6年)3月15日)は明治・大正初期に活躍した評論家、歴史家。本名は彌吉。愛山はその号である。初め如山と号したが、静岡の愛鷹山に由来する愛山の名は明治20年頃から用いられた。
幕臣山路一郎の子として、東京淺草の天文屋敷に生まれた。山路家は幕府の天文方を代々歴任した。父は幕府方として彰義隊に加わり、上野に籠り、のち函館に移って政府軍と戦い、彼は祖父母とともに静岡に移った。失意の父は酒癖わるく放縦にして家事を省みなかったたため、彼は幼くして自ら家を支えなければならなかった。初め奥村孚について漢学を修め、静岡警察署の雇吏となりつつ、学問を好み倦むところを知らなかったという。メソジスト教会監督・平岩愃保らに英語を学び、キリスト教に入信した。明治21年2月には『國民之友』が創刊され、有名な蘇峰の「嗟呼國民之友生れたり」が掲載された。彼は「これを越前福井の足羽山上に読み、山に上り山を下るの間遂に山光水色の何たるを知るに及ばなかつた」という。明治21年上京して東洋英和学校に入り、卒業の後、静岡に伝道師たること三年、この間初めて愛山の名で『女學雑誌』に投書した。

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